メンターシップにおける守秘義務と適切な情報共有 コミュニケーション実践の勘所
はじめに
企業におけるメンターシッププログラムは、社員の育成、キャリア形成支援、組織活性化に不可欠な施策として広く導入されています。このプログラムの効果を最大限に引き出す上で、メンターとメンティーの間に構築される「信頼関係」は最も重要な基盤の一つです。そして、この信頼関係を維持・強化するために、メンター・メンティー間の「守秘義務」の遵守と、プログラム運営上必要な「適切な情報共有」に関するコミュニケーションは、極めて重要な要素となります。
人材開発担当者の皆様は、プログラム参加者に対し、どこまでが守秘されるべき情報で、何が、いつ、誰に共有され得るのかを明確に伝え、共通認識を醸成する必要があります。不明確なままプログラムが進むと、参加者の間に不信感が生じたり、予期せぬ情報漏洩やトラブルに発展したりするリスクが高まります。
本稿では、メンターシップにおける守秘義務の基本的な考え方と適切な情報共有のあり方、そしてこれらに関する参加者間のコミュニケーションを円滑に進めるための実践的なポイントについて解説します。
メンターシップにおける守秘義務の原則と範囲
メンターシップにおける守秘義務とは、基本的にメンターとメンティーの間のセッションで話された内容について、第三者(メンター・メンティー双方の直属の上司、同僚、家族など)に許可なく開示しないという取り決めです。これは、メンティーが安心して自身の悩み、課題、キャリアに関する本音をメンターに打ち明けられる「心理的安全性」の高い場を確保するために不可欠です。
しかし、一口に「守秘義務」と言っても、その範囲や例外については、プログラムの目的や設計によって慎重に定める必要があります。一般的に守秘されるべきとされるのは、メンティーの個人的な悩みやキャリアの方向性、現在の業務における具体的な課題や困難といった、メンティーの個人的な情報や内省に関わる内容です。
一方、守秘義務の例外となり得るのは、以下のようなケースです。
- メンティー自身や他者の生命、身体の安全に関わる情報(ハラスメント、違法行為、自傷他害のおそれなど)
- 企業の規定や法令遵守に関わる重大な情報
- メンター、メンティー双方、またはプログラム運営担当者が事前に共有に合意した情報(例: メンティーの成長目標の進捗を運営担当者に報告する場合など)
人材開発担当者は、これらの守秘義務の原則と例外について、プログラム開始前のオリエンテーションやメンター・メンティー間の契約書・合意書で明確に言語化し、参加者全員に周知徹底することが重要です。曖昧な表現は避け、「どのような情報が、どのような条件下で共有され得るのか」を具体的に説明する必要があります。
適切な情報共有の目的と対象
守秘義務がある一方で、メンターシッププログラムを効果的に運営するためには、適切な情報共有も不可欠です。情報共有の主な目的は以下の通りです。
- メンティーの成長支援の最適化: 運営担当者がメンティーの全体的な状況や課題を把握し、必要に応じてメンターやメンティーに追加的なサポートを提供するため。
- メンターのサポート: メンターがメンティーへの支援に悩んだり、対応に困ったりした場合に、運営担当者や他のメンターからの助言・支援を受けるため。
- プログラムの効果測定と改善: プログラム全体の進捗状況や成果、課題を把握し、今後の運営や改善に活かすため。
- 関係部署との連携: 必要に応じて、メンティーの上司や人事部門と連携し、より包括的な育成支援を行うため。
適切な情報共有の対象となるのは、主にプログラム運営担当者ですが、メンティーの同意を得た上で、直属の上司や関連部署と共有する場合も考えられます。どのような情報を、誰と、どのような目的で共有する可能性があるのかを、プログラム開始前に参加者と合意形成しておくことが、後のトラブルを防ぐ鍵となります。
コミュニケーションにおける実践的なポイント
守秘義務と適切な情報共有に関して、メンター・メンティー間のコミュニケーションで留意すべき実践的なポイントを以下に示します。
1. 初回セッションでの期待値調整
メンターシップを開始するにあたり、最初のセッションで守秘義務と情報共有に関するお互いの認識を確認し、すり合わせを行うことが極めて重要です。
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メンターからの投げかけ例:
- 「メンタリングで話してくださる内容は、基本的に私とあなただけの間に留めます。安心して率直にお話しください。」
- 「ただし、ご自身の安全に関わることや、会社の規定に関わる重大な情報など、プログラム運営や関係部署に共有が必要と判断される例外的なケースもあり得ます。この点について、事前に共有が必要なケースがあれば、必ずあなたに確認し、同意を得るように努めます。ご不明な点やご心配な点はありますか。」
- 「プログラム運営担当者には、全体の進捗状況や、あなたへの支援に必要な範囲で情報を共有する場合があります。共有する情報の内容や範囲については、事前に合意したルールに基づいて行いますが、もし共有されたくない情報があれば、その都度遠慮なくおっしゃってください。」
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メンティーからの確認例:
- 「ここで話した内容は、例えば私の直属の上司に伝わることはありませんか。」
- 「もし、私が業務で困っていることを話した場合、それは会社に共有されるのでしょうか。」
このように具体的な状況を想定した質問や確認を行うことで、お互いの認識のズレをなくし、信頼関係を築く第一歩とすることができます。人材開発担当者は、メンターに対し、こうした期待値調整を適切に行うための研修やガイドラインを提供することが有効です。
2. 情報共有が必要になった場合の対話
セッションの中で、運営担当者や関係部署への情報共有が必要となる可能性が出てきた場合、メンターはメンティーに対し、その必要性や共有する情報の内容、共有先について丁寧に説明し、同意を得るプロセスを踏む必要があります。
- メンターからの説明例:
- 「先ほどお話しくださった〇〇の件ですが、あなたの成長をより適切に支援するためには、プログラム運営担当者にも状況を共有し、何かサポートが得られないか相談してみるのが良いかもしれないと感じました。もしよろしければ、運営担当者にこの件について共有してもよろしいでしょうか。」
- 「この状況は、会社のハラスメントに関する規定に抵触する可能性があると感じています。あなたの安全を守るためにも、人事部に相談する必要があります。この件について、人事部に報告するプロセスについてご説明させていただけますでしょうか。」
メンティーの同意なく情報を共有することは、信頼関係を著しく損なう行為です。緊急を要する場合や法令に関わる場合を除き、必ずメンティーとの対話を通じて進める姿勢が求められます。
3. 運営担当者、上司との連携における配慮
人材開発担当者やメンティーの上司と情報共有を行う際は、共有する情報の範囲を必要最小限に留め、「何のためにその情報を共有するのか」という目的を常に明確に意識する必要があります。具体的なセッション内容の詳細を共有するのではなく、メンティーの全体的な成長テーマや、メンターとして支援する上での課題、運営上必要な情報(例: セッション頻度、参加者のモチベーションレベルに関する全体的な傾向など)に限定することが一般的です。
特に上司と情報を共有する場合は、メンティーの評価にネガティブな影響を与えないよう、十分な配慮が必要です。可能であれば、メンティー本人も交えた三者面談の場で、共有範囲や目的について合意形成を行うことも有効な手段となります。
トラブル予防と対応
守秘義務や情報共有に関するトラブルを予防するためには、プログラム設計段階での明確なルール作りと参加者への丁寧な周知が最も重要です。加えて、万が一情報漏洩や不適切な情報共有が発生した場合の対応フローを事前に定めておくことも必要です。
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予防策:
- メンター・メンティー間の契約書や合意書に、守秘義務の範囲、例外、情報共有に関するルールを明記する。
- オリエンテーションやメンター研修で、守秘義務と情報共有に関する重要性、具体的なコミュニケーション方法について時間をかけて説明し、質疑応答の時間を設ける。
- プログラム運営担当者への報告ルール(例: メンティーの安全に関わる情報やコンプライアンス違反の可能性については、直ちに報告が必要であることなど)を明確にする。
- メンター同士が相談できる場(メンターコミュニティ、ピアメンタリングなど)を設け、守秘義務に配慮しながらも孤立しない環境を作る。
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発生時の対応:
- 事態の速やかな把握と関係者への事実確認。
- 被害を最小限に抑えるための対応(例: 誤って共有された情報の回収・削除依頼)。
- 関係者(メンター、メンティー、必要に応じて上司や人事部門)への説明と謝罪。
- 再発防止策の検討と実施。
- 関係者へのカウンセリングやフォローアップ。
人材開発担当者は、こうしたトラブル対応の責任者として、冷静かつ迅速に対応できる体制を整えておく必要があります。
まとめ
メンターシッププログラムにおける守秘義務の遵守と適切な情報共有は、単なるルールの問題ではなく、メンターとメンティーの間に強固な信頼関係を築き、プログラム全体の成功を左右するコミュニケーション上の極めて重要な要素です。
人材開発担当者の皆様は、プログラム開始前の段階から、守秘義務の範囲と例外、そして必要な情報共有の目的と対象について、参加者全員が共通認識を持てるよう、丁寧な説明と合意形成のプロセスを設計してください。そして、プログラム進行中においても、メンター・メンティー間のコミュニケーションが円滑に行われるよう、具体的な投げかけ方や対応方法に関する研修・サポートを提供することが、プログラムの効果を最大化する鍵となります。
適切なコミュニケーションを通じて、安心して本音で語り合える環境を整備することが、メンティーの自律的な成長を促し、メンター自身の成長にも繋がる、実りあるメンターシップを実現する第一歩となるでしょう。